「電波男」の真の敵は「恋愛資本主義」だ(電波風味長文)

本田透電波男』を読んでから非モテ系blogをよく読んでいます。
どこも面白い(興味深い)ですね。私もモテなかった時期がかーなーりー長かったので(今も決してモテてるワケじゃないです)ルサンチマン、『電波男』でいうところの“喪闘気”は未だに消えないですよ。(男子だけじゃなくて女子にもルサンチマンを持ってる人はいるんですよー)
まぁ、色々あって昔にくらべると今は落ち着いてますけどね……


で、『電波男』及び非モテ系のblogを読んでて思い出したのが、永野のりこ『電波オデッセイ』1巻の原さんのセリフです。両者とも「電波」つながりということで(笑)以下、そのまま引用。

「おまえらは無意味なできそこないだ」!!
そんな暴力的な“洗脳”にみんなマイっているんですよねっ


「なにを知らなきゃハズイ」とか「なにを着なきゃダサイ」とか
「なにを買わなきゃオクレテル」とか「何点以下はバカだ」とか


いつも追い立てられて駆りたてられてつい彼らみたく
“自分より不幸な人”とか“自分以下風な人”とかを
飢えたケダモノみたく捜しまわったりでっちあげたり


ああ…大戦下のワルシャワさながらの妄想幻魔大戦の見えない戦火がいま…


試しにこの「妄想幻魔大戦」のくだりを「恋愛資本主義」に改変してみた。
よって文章も一部改変。

「恋愛できないおまえらは無意味なできそこないだ」!!


そんな暴力的な“洗脳”にみんなマイっているんですよねっ


「セックスできない奴はクズ」とか「ブランド品を着なきゃダサイ」とか
「デートするならオシャレな場所じゃなきゃダメ」とか「いいトシして独身者は負け組」とか


いつも追い立てられて駆りたてられてつい彼らみたく
“自分より不幸な人”とか“自分以下風な人”とかを
飢えたケダモノみたく捜しまわったりでっちあげたり


ああ…大戦下のワルシャワさながらの恋愛資本主義の見えない戦火がいま…


話は戻って。


電波男』での「3次元の女はみなダメだから2次元(脳内)彼女でいいんだ!」という論は斬新な考え方としては面白い(興味深い)んですが*1、本書で3次元女を叩く様子は、リアル世界で一応女の体を持つ者として orz なキモチになる部分も。打算だけで生きてる女もいるかもしれんが、そんな女性ばかりじゃないですよ……きっと。
(本書あとがきで引用されてるジョン・レノンの歌詞を読むと本田氏は「女性には絶望してるんだ、でも諦めきれないんだ」ということが分かるのだが)


電波男の真の敵は、女性ではなく、かといってイケメンでもなく、本書で取り上げられていた「恋愛資本主義」にある気がします。
ルサンチマンをこじらせる一番の原因は「誰もが恋愛してるのに、自分だけはどうしてできないんだ……」と錯覚してしまうことじゃないでしょうか?


ぶっちゃけ言うと「恋愛できる人」って限られてますよ!
「できる/できない」というより「恋愛に向いてる人/恋愛に不向きな人」という区分けかな、それは確実にある。
世間には呼吸をするようにごく自然に恋愛をしたり「恋愛してないと死ぬ。」みたいな人もいるけど、私は歯の浮くようなセリフを聞くと「ヒエエ」と体がカユくなるようなタイプだ。あと恋のかけひきとかも苦手だ(苦笑)
前者と後者、どちらが恋愛向きかは火を見るより明らかですよね?


特に「TVや小説に出てくるようなドラマチックな恋愛」なんて誰もができるワケではありません!と30年弱の今までの人生をかけてオレは言いたい。
でも“お台場や六本木にいる恋愛資本主義の黒幕のあいつら”が煽ることで「恋愛できないと人間としてダメなのかなぁ(ショボン)」と皆に感じさせているんだヨ!特にTVドラマ、どうしてあんなに恋愛物ばかりなんだ……;恋愛だけが人の生きる道ってわけでもなかろうに。


一昔前までは恋愛に不向きな人の為に「お見合い」や「結婚相談所」という制度があった*2のに、今ではすっかり「恋愛できないヤツはクズ」という洗脳がまかり通っているから上記の制度を使うと「モテないダメなやつ」って思われちゃうのね。モテないというより恋愛には最初から「向き/不向き」があるんだよ確実に!


余談ですが、「恋愛(Love)」というものは近代以降に西洋から輸入された概念で、それまでの日本には恋愛というのは無かったらしいですね。人間だから惚れたはれたはあったかもしれないけど、今みたいに恋愛至上!(恋愛偏重?)ではなかったと思われます。

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電波男』の感想は他にも書きたいんですが、それはまとまってから(いつまとまるのか謎だけど……)

*1:私も脳内妄想を使って生き延びた時期がありました

*2:「結婚はいい/悪い」は話がずれるのでひとまずおいといて